「黒」と「白」、言葉の豊かさ

先日、ケンブリッジ大学出版局のブログ About wordsに、Black sheep and white lies という記事が掲載されました。色にまつわる慣用句をテーマとした記事です。これに対して、読者から「黒と白という色を使った表現は、人種差別の意識から生まれたものなのか?」という質問が届きます。ブログではどのように答えたのでしょうか。

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ブログでは、まず、言葉について調べようと思うのはいいことだと述べています。昔から使われてきた言葉でも、今では不快語とみなされるものも少なくないからです。また、「黒」、「白」は単に「色」を表す言葉として用いられることもあり、そのようにして幅広く慣用句に登場することも事実だと指摘しています。たとえば、black and blue(青黒いあざになる)は、どこかにぶつけたりなどであざができると本当にそういう色になるので、このような表現が使われます。

とは言うものの、英語の文化では「白」が純粋で汚れのないもの(プラスのイメージ)、「黒」が悪いもの(マイナスのイメージ)と関連づけられることも少なくありません。black knight(敵対的買収者)とwhite knight(友好的買収者)はその一例です。そして、元々は人種差別的な意識とは無縁だったとしても、その色が純粋さや不吉さと関連づけられている場合には、多くの人が人種差別的だと感じるのです。

このような説明のあとに、ブログには以下の言葉が続きます。

So it really doesn’t matter where an idiom came from: what matters is how it makes our fellow humans feel when they hear it. It is perfectly possible to find other words and phrases to express our ideas so that we avoid offending people. The language is rich enough.
(試訳)だから、慣用句がどのように生まれたかは、実はどうでもいいのです。大事なのは、その言葉を使ったときに、相手がどのように感じるかということ。人を傷つけることのないよう、ほかの言葉や慣用句を見つけて自分の考えを表現することは十分に可能です。英語という言語は、それぐらい豊かなのです。

最後の一文に、言語と向き合う出版局の思いが強く感じられました。そして「英語」を「日本語」に置き換えても、同じことが言えると信じます。

翻訳者もまた、言葉と向き合う職業です。「自分の選んだ言葉がだれかを傷つけることがあるかもしれない」という意識を持って、言葉に対する感度を高めるとともに、言葉の豊かさを信じ、表現の幅を広げる努力を続けたいと思います。

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