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新海 美保さん Miho Shinkai
国際協力関連のメディア、企業やNPOの広報を務めた後、現在はフリーランスのライター、エディターとして活動中の新海さん。今までの多彩な経験、アジアやアフリカへの想い、日々の生活のこと、今後の夢などをお聞きしました。
書く仕事を軸に、世界や地域の魅力を発信したい
-ENWパートナーになったきっかけは?
結婚、京都への移住をきっかけにフリーランスのライター、エディターとして働くようになり、お仕事のパートナーを探していた時、友人がエコネットワークス(ENW)代表の野澤健さんを紹介してくれました。ENWのコンセプトに共感し、2014年から一緒に働いています。
-エコネットワークスでは、どんなお仕事をしているのですか?
ENWでは主にライターの仕事をしています。インドに滞在していたこともあって、南アジア関係の国際協力のレポート記事などを執筆することが多いです。他に、CSR関連の原稿を書いたり、リサーチをしたりすることもあります。
-普段はどんなお仕事をしているのですか?
雑誌やウェブなどさまざまな媒体を運営する出版社や編集プロダクションと契約し、編集、撮影、ライターなどの仕事をしています。ジャンルとしては国際協力やSDGs、ESG、地方創生やまちづくり関連が多いですが、長野や京都の観光、伝統産業に関する記事も多く執筆しています。2017年の出産以降、またコロナ禍では在宅の仕事が多かったのですが、外に出て取材したり打ち合わせしたりする機会も増えてきました。やはりオンラインだけでなく、直接お会いする機会を大切にしたいです。
-どんなきっかけで、今のお仕事をするようになったのですか?
大学で専攻していたのは欧州の政治や国際関係全般ですが、学んでいくうちに世界の紛争や貧困に興味を持ち、いわゆる“発展途上”の国にいる人のことを知りたいと思うようになりました。大学の新聞部で指導を受けていた元通信社の方と話をする中、「頭で考えてないで、とにかく現場へ!」とアドバイスをいただき、大学卒業後、1年間インドで暮らすことに。全寮制の学校兼孤児院で生徒や教員たちと寝食をともにしました。
生徒の年齢は赤ちゃんから30代まで。目が見えない子や両親のいない子、ミャンマーからやってきた子などさまざまな境遇の子どもたちが暮らす学校で、英語や日本語、日本文化を教えながら、現地の文化、貧困とは何か、身をもって知りました。
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インドの祝日に行われた式典Teacher’s dayで生徒から贈り物をいただきました。
-インドでの体験を経て、帰国後はどんなお仕事を選んだのですか?
帰国後、途上国の現状を伝えられる会社がないか探したところ、国際協力関連の雑誌編集の仕事を見つけ、ピンポイントで応募。採用となり、編集者・記者の第一歩を踏み出しました。そこで6年働いた後、PR・CSRコンサル企業の出版部門に転職。でもその直後に東日本大震災があり「災害の現場に行きたい」「自分ができることをしたい」と強く思うようになり、人材募集をしていた緊急支援団体 Civic Force で2011年から広報担当に。2014年に結婚し京都に移住するまで勤めていました。Civic Force とは今もつながりがあり、広報の仕事全般を担当しています。
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Civic Forceの活動風景。©Civic Force
-ライター、編集、広報の仕事のやりがいはどんなところですか?
執筆、編集では、取材相手に話を聞いて、共感した内容を記事にして、相手の方に納得いただいたうえで読み手に伝えるという、全てのプロセスが刺激になり、楽しいです。
広報の仕事は、組織の中に入り、内部の方たちと関わり、その苦労を含めて活動内容を知りながら、伝えるべきことを発見します。企業の広報やCSR担当部署の方と話す機会も多く、取材する側とは違う視点で働けるのも面白いです。
-Civic Forceはどんな団体なのですか?
Civic Forceは「1人でも多くの人を災害から救いたい」という思いからできた、新しいタイプの災害支援プラットフォームです。国内外の紛争や災害時の緊急支援に携わってきたメンバーが集まって、「大災害の時は、行政も被災する。公的な機関に頼るだけでなく、企業や病院、行政、NPO、住民などが力を結集し、連携して支援しなければ」と始めた団体です。日ごろからさまざまな組織と協力体制を築き、災害時にネットワークを駆使し、物流トラックを借りる、下着を企業から提供いただき被災地に届ける、提携先のヘリコプターで空から被害状況を見る等の救助活動を進めています。
-今まで住んできた地域の魅力について教えてください。
愛知で生まれ育ち、大学は静岡、社会人10年は東京で、結婚後3年は京都で暮らしました。その後、夫の仕事の都合で関東に戻ったり、出産を機に両親のいる静岡県富士宮市でも過ごし、今は長野県に住んでいます。
京都は日々の何気ない暮らしのなかで、日本の奥深い歴史や古都の誇り、季節の移り変わりを感じられることが、大きな魅力でした。花や紅葉の色が深く、驚き「色を愛でる」という感覚を、30過ぎて初めて持つことができました。仕事で『京ごよみ手帳』という京都の行事を紹介する本を作ったのですが、取材のたびに”京都らしさ”に出会えるのが、本当に楽しかったです。情に厚い人たちが多く、人のつながりがどんどん広がっていくのも、京都で暮らす醍醐味です。
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京都で手掛けた仕事の数々。
静岡の富士宮市は、両親が「富士山を見られるところに住みたい」という想いで移住した、自然が美しい土地。富士山の麓で畑仕事をしながら、季節の移り変わりを感じられます。富士山の見え方が毎日違うことも、初めての発見でした。
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赤富士、影富士、逆さ富士・・・季節や天候によって姿を変える富士山。
他方、今フリーランスで仕事ができているのは、10年間、東京での経験やネットワークのおかげです。今は長野で農のある暮らしを楽しみつつ、東京や関西を行ったり来たりしながら、仕事もプライベートも「やりたいこと」にこだわりつつ、無理のない生活スタイルにシフトしています。
-オフはどのようにして過ごしているのですか?
結婚する前は、いつでも100%仕事モードでした。結婚してからもしばらくそういう感じだったのですが、それだとバランスが良くないと思い、オフをちゃんととることに変え、今は家族と過ごす時間も大切にしています。
あと、普段から大好きなことは、歩くこと。民俗学者、宮本常一の『あるくみる きく』にも強い影響を受けていて、娘の名前も「歩弥(あゆみ)」という名前にしたほどです(笑)。
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娘は今6歳。一緒に散歩する時間が好きです
-サステナブルな働き方のために大切にしていることは?
自分の仕事の範囲を決めない。来るものこばまず、自分の範囲を決めず、ご縁があった仕事を続けることです。この考え方はサステナブルじゃないようにも聞こえますが、興味がない仕事でも、ひとまず引き受ける。そうすることで幅も広がり人生が豊かになっていく。私にとっては欠かせない要素です。
あとは、仕事とプライベートを無理に分けないこと。仕事じゃない時間に「これが仕事の役に立つ」と感じたり、その逆もあります。よく「ワークライフバランスを大切に」という言葉がありますが、私の場合は、バランスをとるというより、ワークとライフを分けないで、自然体で過ごすほうが良いです。
ー今後の夢は?
今の仕事を続けながら、子育てや教育に関わる仕事もしてみたいです。
娘の妊娠中、今まで子育てに関わっていなかったので「子育てに興味を持てるのかな」と心配になり、保育士の勉強を始めました。それがだんだん面白くなってきて、今後は保育士の資格を取り、子どもの教育に関わる仕事もしてみたいと思うように。大学卒業後すぐに渡ったインドで、何の知識、経験もないところから子どもたちに関わり「何もできなかった」という悔しい思いを抱いたことも、勉強のモチベーションになっています。
今後もご縁を大切にしながら、仕事、勉強、家事、子育てに取り組んでいきたいです。(取材日2017/7/3、2023年10月追記)
経歴:
愛知県生まれ。大学卒業後、2004−05年インド在住。出版社で国際協力の専門書や雑誌の編集・執筆に携わり、2009-10年『国際協力ガイド』編集長。PR・CSRコンサル企業の出版部門を経て、2011年から緊急支援団体の広報・渉外担当。2014年京都移住を機にフリーランスに。新聞、雑誌、書籍、ウェブなどの企画・編集・執筆・校正・撮影に従事。主な分野は国際協力・交流・ビジネス、CSR、キャリア、教育、観光、防災など。共著『グローバル化のなかの日本再考』(葦書房)ほか。