たかが呼び名、されど呼び名

2019 / 4 / 18 | カテゴリー: | 執筆者:EcoNetworks Editor

小さな違和感

 みなさんはご自分、そして他人の配偶者を何と呼んでいますか?

私の既婚の女友達の多くが、自分の配偶者を「主人」「旦那」と呼んでいます。なので、私も相手に合わせて「ご主人」とか「旦那さん」と呼んでいました。そして、男性に対しては「奥さん」と。

ところが、最近、そう呼ぶことに抵抗を覚える自分に気づいています。なんというか、うしろめたさのような気持ちがあるのです。具体的なきっかけが何だったのかは覚えていません。

私自身は、結婚当初から夫を名前で呼んでおり、親しい友人に話すときは名前をさん付け、夫を知らない人には「夫」と言います。でも、他の人の配偶者を「夫さん」というのも変ですよね。

ですから「ご主人」「旦那さん」「奥さん」を使うことも、便宜上仕方ないとは思っています。特に相手が気にしない人なら、そう呼ぶのが無難で楽。でも、最近、それでも少しもやもやが残るのです。一度、違和感を覚えてしまうと、もう、その言葉を口にしたくない自分がいるようです。

だまし絵のように

どうしてそんなに気になるの、って思う方も多いでしょう。

ひとつは世間の価値観の変化かもしれません。ネット上の記事やSNSで同じような感覚の人の意見を目にすることが増えています。他にも、どう呼ぶのが正解か、というような視点の記事も多いようです。

そういう記事を目にする機会が増えているので、そうした呼び名に違和感を覚えるのが自分だけではない、と安心したことも理由の一つかもしれません。

でも、それ以上に、まるで「だまし絵」のように、これまで隠されていて、まったく見えていなかったものが見えてきたということが一番大きな原因であるように感じています。

だまし絵ってありますよね。絵のなかに複数の異なる見方が隠されている脳の錯視を利用した絵です。女の人だと思って見ていたら、実はひげの男性にも見えるとか、グラスと思ったら横顔だったとか。

あの感覚と似ている気がします。見えていない時はまったく見えないのに、一度、見えてしまうと、ずっと現れる。

隠れていたもの

では、だまし絵に隠されていたものは何だったのでしょう。

主人や旦那という言葉に隠されている意味や背景、と言い換えることもできるかもしれません。

その言葉の本来の意味を考えれば、「主人」や「旦那」を男性配偶者に使うということは、結婚したら女性が男性に仕えるという意味が隠されています。「奥さん」も同じです。

ですが、長く使われてきた言葉であるがゆえに意識にはのぼらず、ニュートラルな呼称として使っていると多くの人は考えているでしょう。私も意識せずに使っていたつもりでした。

けれども、思うのです。それは本当にニュートラルな単なる呼称なのでしょうか。

私と夫は今も名前で呼び合っていますが、日本では結婚後もそうしている人は少数派のようです。特に子供が生まれると「お父さん」「パパ」になる人が多いですよね。

実は私は意識して名前で呼んでいました。若い頃にホームステイでオーストラリアの家族と暮らして、夫婦が名前で呼び合う姿にとても好感をもったからです。とても仲睦まじいご夫婦で、お互いに尊敬しあっているのが分かりました。朝起きると、ホストファーザーが夫婦二人分のコーヒーを淹れて、一日が始まっていました。そして彼が私と子どもたちにも、毎朝、アールグレイのミルクティを入れてくれました。

今、私は日本で日本人の夫と結婚し、毎朝コーヒーを淹れてもらっています。夫の方が早起きなので自然にそういう風になったのです。でも、女友達と話していると「誰かにお茶を入れてもらうことって滅多にない」と言う人もかなりいます。私の母も、父にお茶をいれてもらったことはないかもしれません。少なくとも、私は見たことがありません。

実家で私が母にお茶を入れると、母は普通にお礼を言って、お茶を飲みます。でも、あるとき、夫がなにげなく母にお茶を入れると、母は慌てふためいた様子で申し訳なさそうにお礼を言い、そして嬉しそうに、ゆっくり味わいながら、お茶を飲んでいました。

母は父のことを「主人」と人に言います。それを聞くと、最近、私の胸はほんの少し、きゅっとなります。もちろん、母の意識には、なんのわだかまりもないでしょう。だまし絵は見えない人には見えないのですから。

でも、だまし絵の隠された部分が見えている人も確かに増えているようです。それは嬉しい兆候だと思います。

そろそろ新しい呼称が生まれないかしら、と私は最近、思っています。20世紀の終わりに英語の女性の敬称としてMs.が誕生し、浸透したように…。当時、結婚しているか、していないかで、女性だけ呼び名が変わることはおかしいと感じた人たちにも、きっと隠された絵がはっきりと見えていたのでしょう。

もちろん、私も、日本にすでに「つれあい」や「パートナー」などの言葉があることは知っています。ただ、今のところ、「パートナーの方」や「おつれあい」などと呼ぶのは、周囲の反応が少し怖くて、ためらってしまうのです。周囲が「え?」と一瞬、固まるのが分かっているから。

ですから、だまし絵の隠れた絵が見えてしまった人が、心地よく、周囲に気兼ねせずに使える言葉ができれば便利なのに,と思っています。

新しい呼称が生まれるのが先か、既存の言葉が社会に浸透するのが先か‥‥‥。

いずれにせよ、この流れは進んでいくのではないでしょうか。

(執筆:渡辺 千鶴)

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