家畜のいない農業と食の未来図 『Regenesis』を読んで

2023 / 11 / 1 | カテゴリー: | 執筆者:EcoNetworks Editor

執筆:杉本 優
英国スコットランド在住の翻訳者。英国翻訳通訳協会(ITI)正会員。


「世界の温室効果ガス排出量の約3分の1は食料システムに関連している」というデータがあります。食料生産は、森林破壊や環境汚染、生物多様性の喪失など地球環境に大きな影響を与えており、食料システム全体、特に農業のあり方を見直す必要があることは明らかです。

そんな中、英国ガーディアン紙のコラムニストで、環境活動家としても知られているジョージ・モンビオ氏が発表したのがこの書籍です。食をめぐる問題の原因を分析し、食の未来について大胆な提言を行い、英国内外で議論を呼んでいます。まだ邦訳が出ていない本書の内容をお伝えします。

ミクロとマクロのレンズで食と農業を検証

レンズ

(Photo by Nadine Shaabana via Unsplash)

本書の前半では、ミクロとマクロという2つのレンズを通して食と農業を見ていきます。まずミクロの目が観察するのは足もとの土。著者は、ルーペを通して見る土壌が、ミミズやトビムシといった生物や真菌・細菌などの土壌微生物が無数に生息する、生物多様性の豊かな生態系であることを説明します。植物の根に接する「根圏(rhizosphere)」では、こうしたさまざまな生物が植物の根と共生関係にあり、栄養をやり取りしたり、成長ホルモンを供給したり、免疫の役割を果たして植物を守ったりと、デリケートな複雑系(complex system)を形成しています。しかし人類はこれまで、土壌の複雑系について無知のままで土を耕し農業を行ってきました。人間の摂取するカロリーの90%は土壌に由来しているといいますが、人間社会の食料システムに土壌の生物多様性がどれほど重要か、私たちはやっと理解し始めたばかりなのです。

次にマクロな視点で世界の食料システム全体を俯瞰すると、こちらも遠く離れた地域の営みが繋がり合う巨大な複雑系を形成しています。しかし、効率を追求した結果、食料生産は巨大な多国籍企業の寡占市場となり、生産者は種子から肥料、農薬、農業機械まで、すべてをグローバル企業に依存するようになってしまいました。著者は、こうして誕生した「グローバルスタンダードファーム」が、世界中どこでも同じ「グローバルスタンダード食」を生産しているという現状に警鐘を鳴らします。食料生産・供給の複雑系は、多様性や冗長性が排除されたために脆弱になり、ストレスに対してレジリエンスがありません。その一方で、食料生産は気候変動に拍車をかけ、土壌や大気、水に深刻な打撃を与えています。そのため、効率的に機能しているように見える世界食料システムも、こうしたストレスをきっかけに一気に瓦解する危険があるというのです。

中でも著者が問題視するのは畜産です。大規模養鶏場の排水による河川汚染や、有毒金属塩や抗生物質を含有する家畜糞堆肥の散布による土壌汚染や窒素流出、畜産や飼料栽培を目的とする森林伐採など、食肉生産に起因する環境破壊の例は枚挙にいとまがありません。また温暖化に与える影響も甚大で、牛肉4キロの炭素機会費用(牧畜用地を自然の植生に還した場合に貯留できる二酸化炭素量)は1250キロにもなります。「大規模肥育場で生産された牛肉を外国から輸入するのが問題なのであって、地元の農家が牧草で育てた有機牛肉なら環境に優しいはず」と考えがちですが(私もそう思っていました)、それは間違いだと著者は指摘します。周年放牧による肥育には広大な牧草地の確保が必要であり、また集中肥育に比べて時間がかかるため牛が排出するメタンの総量も多くなります。そのため、むしろ炭素機会費用は放牧の方が大きく、有機牛の地産地消では問題の解決にならないというのです。

環境を破壊しない食料システムとは

tomato

(Photo by ?? Janko Ferlič via Unsplash)

本書後半では、環境を破壊しない食料システムのあり方を、青果・穀物・たんぱく源の3分野に分けて考えています。

まず青果生産で紹介するのは、100種類の有機野菜・果実を育てているというトリーさんの実践例です。有機農法では化成肥料の代わりに家畜糞堆肥を使うのが一般的ですが、トリーさんは動物性肥料ではなく緑肥(green manure)とウッドチップを使って土壌の肥沃度を高めています。土壌の生物多様性に配慮すれば家畜を排除した農法でも、収量向上を実現できることを、この実践例は示します。

次に考えるのは穀物の生産です。主食となる穀物の生産は、生物多様性や土壌に対する負荷が高く、また気候変動の影響を大きく受けます。異常気象に対するレジリエンスを高めるには土壌の劣化を防ぐことが重要であり、その方法として広がってきたのが不耕起農法(no-till farming)です。収穫後は表土が藁などで覆われた状態で放置し、種蒔きの際にも畑を耕しません。著者はこの不耕起農法を実践しているティムさんを訪ね、話を聞きます。不耕起農法では収量がやや落ちることが多いのですが、農業機械の燃料代が大幅に節約でき、また土壌の保水性が高まるため冠水や干ばつにも強いとのこと。しかし、雑草対策として除草剤の使用が避けられず、生物多様性への影響が懸念されています。

一方、同じく穀物生産者のイアンさんは、農薬を一切使わない環境再生型農業(regenerative agriculture)を実践しています。8年サイクルの輪作でヘリテージ小麦、オート麦を生産していますが、8年のうち4年間は土壌肥沃度を回復させるため牧草地にして羊を放牧し、麦作に入る前に耕耘機を入れて耕します。輪作サイクルの長さやヘリテージ種の使用のため高コストで収量も少なく、商業ルートに卸すことはできませんが、地域支援型農業(CSA: community-supported agriculture)と呼ばれる会員制システムで近隣の住民に野菜を直販し、地元の有機ベーカリーと提携するなど、地域コミュニティに根ざした農業を志向しています。

ティムさんの不耕起農法もイアンさんの環境再生型農業も、目指すのは環境に優しく異常気象に負けない穀物生産。しかし、この2人の実践例は低価格コモディティである穀物の生産で環境保全と収益確保を両立させる難しさに光を当てます。ティムさんは農薬使用を避けられず、イアンさんは商業生産を断念しています。どちらも妥協なしには経営が成り立たないのです。このパラドックスの解決法として著者が注目するのは、多年生穀物です。現在食用にされている穀物はどれも一年草ですが、野生の多年生近縁種の交配による多年生穀物の開発が進んでいるのです。多年生の植物は根が長く地中深くまで伸びるので、雑草にも負けず、異常気象への耐性も高いのが特徴です。毎年畑を耕す必要がないため栽培しても土壌が痩せず、畑を回復させるために休耕したり家畜を放牧したりする必要がありません。著者が紹介するのは、小麦に似た多年生穀物「カーンザ」。従来飼料として使われてきた作物を米国の非営利研究所ランド・インスティテュートが改良し、商標登録した品種で、製粉して小麦と同じように使うことができます。また、多年生イネ「PR23」はすでに中国で栽培が始まっています。

家畜の代わりとなるタンパク質源

著者が次に考察するのは、食肉や卵、乳製品に代わるたんぱく源です。畜産が温暖化に与える影響を軽減するため食肉消費を減らし、植物由来の食品を中心とした食事に切り替えることが奨励されていますが、著者の提案はもっと大胆です。それは、精密発酵(precision fermentation)と呼ばれる技術。フィンランドのソーラーフーズという会社では、水素細菌と呼ばれる土壌バクテリアを利用した精密発酵によるたんぱく質食材の商品化に取り組んでいます。この細菌は水素をエネルギーとして大気中の二酸化炭素を固定する性質があり、培養して乾燥すると、たんぱく質を豊富に含む粉末になります。9種の必須アミノ酸をすべて含んでおり、動物性たんぱく質の代替品として、さまざまな食品の原料にすることができるといいます。細菌培養に使う水素は、社名の由来にもなっているソーラー電力で生成するグリーン水素。現在はコストの高さがネックですが、開発者は、再エネ発電の普及や電気分解技術の進歩により、大豆並みの低価格実現が可能だと考えているそうです。

昔ながらの牧畜を否定して精密発酵プラントでたんぱく質食材を培養するという発想に抵抗がある人は多いでしょう。しかし著者は、田園の風景や牧畜生活を理想化する伝統文化が、畜産業の現実の直視を妨げていると指摘します。精密発酵プラントは用地のない都市部にも建設することができ、干ばつや暴風雨といった気象条件の影響も受けないので、世界中どこでも必要な量のたんぱく質を地産地消できます。畜産を精密発酵で置き換えれば、現在家畜の肥育と飼料の生産に使われている広大な農地は不要になり、森林など自然の環境に戻すことができるはずです。環境を破壊する「グローバルスタンダードファーム」をもたらした寡占企業の利権から食を取り戻し、自然の生態系を再生し、世界中の誰もが十分な食料を確保できる新しい食料システムに移行する時が来たと、著者は呼びかけます。

食と農業の発想転換

本書は難しい問題を読者に突きつけます。大規模集約農業や食料のグローバルコモディティ化が引き起こす環境破壊は誰の目にも明らかですが、かといって昔ながらの地産地消型の農業ですべてが解決できるという単純な話ではないのです。

気候危機と生物多様性の喪失が深刻になっている今、その大きな原因となっている食と農業について発想の転換が求められていることは疑いようがありません。しかし、畜産の完全排除と人造たんぱく質の培養がその解決法なのでしょうか。それとも、環境に負荷をかけることなく世界中の人に安価な食料が十分に行き渡るシステムを作る方法は他にもあるのでしょうか。私の中でもまだ答えは出ていませんが、著者の問題提起が巻き起こした議論を追いながら、食と農業の未来について私なりに考えていきたいと思います。

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