ライフステージに合わせた働き方―家族の介護が必要になったら第2回

2012 / 1 / 23 | カテゴリー: | 執筆者:二口 芳彗子 Kazuko Futakuchi

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Photo by soekphoto

協力者・理解者を得る―ひとりで抱え込まない

第2回、ずいぶんとアップまで時間がかかり、お待ちくださっていた方、申し訳ありません。

さて、前回「次回は家族の協力と、母の仕事への理解について、書きます。」としめくくりました。とかく介護は女性の負担が大きくなりがちです。家事と子どもの世話と、そして仕事と介護。爆発しないほうが不思議じゃないかなと思います。

私が一番つらかったのは、母の病気が始まってから4年めの秋~冬でした。在宅での仕事はエコネットワークスでの翻訳や翻訳コーディネイターとして、大変ながらもやりがいが出てきた頃、母はベッドから起き上がることもできなくなり、すべての動作に介助が必要でした。仕事は母がデイケアセンターに行っている間、家にいるときは午前午後に数時間、後は母が寝てから、集中して進めました。

母は口数の少ない人でしたが、「芳彗子さんは2階で何をしているんだろう?」と思っていたようで、トイレ介助などが終わって「じゃあ、仕事に戻るわ」と言うと、寂しそうな顔をすることが多かったのです。勤めに出たことのない母には会社組織で働くことがまったくわからない世界、まして在宅で翻訳するのは、想像がつかない様子でした。

そこでお昼の時などに、簡単に仕事の説明をしたり、実際に印刷が上がってきた文書なども見せるようにしました。すると、用事はまとめてくれるようになり、「じゃあ、仕事に戻っていい?」と聞いたときも、「ありがとう。ご苦労さん」と返事が返ってくるように。クライアントからうれしいフィードバックをいただいたときなど、「よかったね、がんばったからやね」と喜んでくれるようになりました。

そんなときに今度は夫が単身赴任となりました。夫は仕事の現場が大変だから単身赴任したわけで、たまに帰ってきてもひたすら寝ていたりと、ゆっくり話しをしたり愚痴の一つも聞いてもらえません。ちょうど長男と長女がそれぞれ高校と中学受験を控えている時期で、流行のインフルエンザ等に子どもたちが罹患しないように、と気持の休まる時がなかったように思います。

そんな頃、診察に付き添って行った病院で、診察後母がリハビリをしているときに、担当のケアマネージャーさんが「少しお話ししましょうか」と二人きりで時間を取ってくれました。母の最近の家での様子や家庭の事情や仕事のことなどを話しているうちに、私もかなり思いつめていたのでしょう、思わず泣き出してしまいました。その様子を見て、ケアマネージャーさんは「二口さん、お子さんの受験が終わるまで、お母さんに病院に入ってもらいましょう。」と、静かに言いました。

私はそんなことがお願いできるのか、と思いましたが、てきぱきとベッドの空きの確認、母への説明などをしてくれて、子どもたちの試験が終わるまで3週間ほど療養棟に入院できる準備が整いました。母もケアマネージャーさんから言われたことで、納得してくれましたし、夫もその状況を知って、以前より私の話をきちんと聞いてくれ、母が戻って来てからは、介助も手伝ってくれるようになりました。

子育ては、子どもが昨日できなかったことが今日できるようになる感動があり、どんなに大変でも、時にとても励まされる思いがします。それに対して、介護はだんだんとできなくなることが増えていくせいか、振り返ったり、客観的に状況を判断する余裕がなくなって行くように思います。

困ったことがある場合、家族で話し合って決めて行くのが良いと思いますが、私の場合はプロのケアマネージャーさんに全体のバランスを見て判断とアドバイスをしてもらえたことで、長い介護生活で小休止の時間をもらい、夫の母や私への対し方も変わりました。

自分ががんばれば、と一人で抱え込まずに、普段から家族や周りの人、専門家に相談して、本人も含めてみんなで考えられるのが良い、と感じた経験でした。


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