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二口芳彗子 インタビュー (その2)
硲:前回、サステナブルな働き方とそうでない働き方について
お聞きしましたが、サステナブルでない働き方から抜け出すには、
どうすればいいでしょうか?
二口:仕事をいくらやっても何も積み上がっていかない、という感覚を
経験することは、皆さんあると思いますが、そうなったとき、
私は立ち止まって「なぜなのか」と考えるようになりました。
私の場合、自分が摩耗していると感じるときは、自分以外のせいにして
いるときが多いんです。そういうときは、実は自分のことが
全然見えていないんだ、とあるとき気づきました。
「どうして私がこんなに苦しまないといけないの」という考えばかり
浮かんできて。でもそこで、「原因は自分にある」と思うことで、
ふっと我に返れるのではないかと思います。そうすれば、自分のほうから
変わっていくことができます。他の人は絶対に変えられない、とまで
言わなくとも、「変えてやろう」と思っても変えらません。
他が変わるのは自分が変わったときだと思います。何か変化を起こしたい
と思ったら、自分が動いて風を起こさないと何も動きません。
自分がどういうことを楽しいと感じるのか、何が幸せなのか、
何が大切なのか、それから何が一番嫌なことなのかを考えるのもいいと
思います。自分の人生を振り返って、小さい頃でも大人になってからの
ことでもいいですが、「あのとき最高に楽しかった」とか、
「あの人にああ言われてうれしかった」とか、そういう経験は、
煮詰まっているときにはどこかにいってしまっています。
自分の価値観について考える時間をとることで、自分の中にある
本当の原因が見えるのではないかと思います。
私自身、今はこんなことを言っていますが、海の底のイソギンチャクの
ような気分にずっとなっていた時期があります。「海の上ではお日様の
光が揺らめいているのに、どうして私はそこに行けないの」と思っていた時期
もありましたが、それは実は、色々な理由をつけて自分が海の底に
いることを選んでいたのだと思います。「お金を稼がないといけないから」
とか、「子どもがまだ小さいから」とか、そういう理由をつけて自分が
そこにいることを選んでいたんです。でも、「本当にやりたいことって、
英語だったじゃん」と気がついて、「だったらそれやるしかないよね」と、
すぱすぱと切るものを切って、許される範囲の中で精一杯やっていると、
次が見えてきました。自分から変われば、いろいろなことを変えていける
と思います。私は昔、もっとうじうじしていたし、嫌みたっぷりの
人間だったと思います。やりたいことができずに鬱々としていた頃は
そうでした。悩んでいる方はたくさんいて、でも、その人自身がそこから
動かないと、周りも動かないのだと思います。恐がらないで
いろんなことを試してみたらどうかな、と思います。
硲:エコネットワークスに出会う前は、どのような働き方をされて
いましたか?
二口:大学卒業後、最初は電機企業の通信部門で働きました。衛星通信の
プロジェクトに配属され、海外対応を担当していました。
大学卒業したての自分には初めてのことばっかりで、先輩に色々と
教えてもらいながら働くのがとても楽しかったです。人に指示を出す
やりかたや、意見がぶつかったときの話のまとめ方など、あらゆることが
勉強になりました。それから、さまざまな年齢の人達が一つの
プロジェクトに関わるのも、新しい経験でした。そういうチームを上手く
まとめて皆から尊敬される人を目の当たりにできたのはよかったです。
驚きや発見の連続で、いろいろな経験をさせていただけたのは、
貴重な経験でした。
この会社で知り合った夫と結婚しました。ここで働き続けたかったのです
が、当時の夫は同じ職場で働くのを嫌がり、私が辞めることにしました。
その後、子育てのことを考えて、時間的な制約が少なく、経済的条件の
よい仕事を選んで、パートで事務職として働きました。その頃、職場で
人間関係が上手くいかなくなってきたのです。思っていることを素直に
しゃべれず、変に遠慮することも多くて。鬱々と、ぎこちない日々を
送っていました。だんだん会社に行くのが苦痛になり、登校拒否になる
子どもの気持ちが分かりました。その頃の私は、やりたいことが
できていないために気持ちがゆがんでいて、自分から出る毒気みたいな
ものが何につけ、相手の鼻についたのだと、今なら分かります。
その頃、バスで通勤していたのですが、ある雨の日でした。バスの窓から
きれいな紫陽花をぼおっと眺めて過ごし、いつものバス停で降りる時に、
何も言わずにお金を入れている自分に気がつきました。声を出す気力も
なかった。「私、息してないわ。これじゃだめだ。今いるところから、
どこかにいかなきゃ」と思いました。
それからしばらくして、金沢市の国際交流に関する部署で人員募集が
ありました。応募するとき、上司に「辞めます」、と伝えました。
上司は「受かってからでいいじゃない」と言いましたが、
「とにかく辞めます。次の人にきちんと引き継ぎをして辞めたいので、
人を探してください」とお願いしました。150人の応募者から、
最後の5人には残ったのですが、最終面接で受かりませんでした。
でも、晴々した気持ちでした。
その後、英語をもう一度勉強させてほしいと夫に頼み、子育てと勉強の
日々が始まりました。下の娘がちょうど幼稚園に入ったところで、子供を
送り出して迎えに行くまでの、9時から15時までが自由な時間でした。
大急ぎで家事をこなし、残りの時間で勉強に集中しました。なるべく
お金をかけずに勉強しようと、石川県の国際交流財団が主催する
ディベート・クラスをはじめ、掛け持ちでいくつも通って勉強しました。
半年後、ディベートのクラスで知り合った友人の紹介で地元の翻訳会社に
就職することができ、そこで2年間、一から翻訳をたたきこんでいただき
ました。その後フリーランスとして独立しました。
必死に勉強していた頃、You can do it!と励まし続けてくれた
英語講師&友人のステファニーと