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【身近にあるコモンズ】シェア会で考えた、古くて新しい概念「コモンズ」

(Photo by Miho Soga)
今や世界でも広く読まれている経済思想家、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』や松本卓也氏との共編『コモンの「自治」論』で、問題解決のキーワードとして提案されている「コモン」。これは共有財・公共財とも呼ばれ、みんなで一緒に管理・使用しているもの・ことを指すのですが、同書の中では地球を「コモン」として持続可能にみんなで共有、管理することで初めてサステナブルな世の中が実現すると述べられています。
実は公民館や図書館、共同運営の生協(COOP)など、すでに「コモン」の概念に基づく仕組みは国内外で数多くあります。そこで、エコネットワークス(ENW)では世界各地に点在するENWパートナーに声がけをし、それぞれの身近にあり、実際に参加している「コモン」を紹介するコラム「身近にあるコモンズ」の連載を始めました。初回「共有廊下から考える『コモン』」、第2回目の「みんなで育むコモンズの森」、第3回目の「失われつつある?『ベンチ』というコモンズ」、第4回目「フィンランドの『自然享受権』」に続く第5回目では、これまでの回の執筆者を含む5人が参加したシェア会の様子をお伝えします。
執筆:新海美保
長野県在住のライター、エディター。
それぞれが考える「コモンズ」とその背景
シェア会ではまず、コラム「身近にあるコモンズ」の執筆者が、それぞれの記事を書きながら気付いたことや書ききれなかった想いなどを語りました。
「コモンって、半径2、3メートルくらいの場所にあるのかもしれません」。そう口火を切ったのは、自身が暮らす建物の共有廊下を「コモン」と捉えて、その魅力を紹介した土井陽子さん。団地で暮らしていた子どもの頃の思い出も交えながら、共有する価値観を一緒につくりだすような、生活に密着した場をコモンと考えたとき、共有廊下が思い浮かんだと言います。
続いて、ベンチについて書いた曽我美穂さんは、ベンチに興味をもったきっかけとして、大学時代に所属していた文化人類学のゼミで教授が言っていた「ベンチから文化が生まれる」という話を共有。そこから昨今のベンチが減っている状況やコモンズとしてのベンチの意味を考えた、と語りました。
また、森林を共同購入し、共に管理する一般社団法人コモンフォレストジャパンの活動に参加している小島和子さんは、「本来、土地はみんなのもの。コモンズとしてみんなで守っていこうという発想が大切」と言います。国や自治体、企業、個人など特定の人が土地を所有・管理している現在の日本の状況には違和感があり、自然はみんなの共有財産=コモンズであるという意識を呼び起こしたいという想いで、活動しています。
最後に、フィンランドの地方都市で暮らす藤原斗希子さんは、土地の所有者や管理者に関係なく誰もが自然を利用できる、フィンランドの「自然享受権」について紹介。記事を書くにあたり、フィンランドにもともとあった「放浪の自由」に関する権利や資源の少ない地域性など歴史的・社会的背景も含めて伝えたかったと振り返ります。
自然を守る主体は?

フィンランドの森の中にある、誰でも自由に使える「Laavu(ラーブ)」という建物。ここを使う権利も「自然享受権」に含まれている(Photo by Tokiko Fujiwara)
後半のディスカッションには執筆者の4人に加え、東京在住の徐倩さんも参加しました。「フィンランドの自然享受権の話は興味深く、ビルに囲まれた都心で暮らす私にはうらやましく感じた」という徐さんの感想に、一同がうなずく場面も。他方、「コモンズの考え方は素晴らしいけれど、“コモン”の維持に土地や場所の所有者・管理者との調整が前提となってしまう今の日本ではなかなか大変。フィンランドの自然享受権の“コモン”とは少し質が異なる」との意見もありました。
自然享受権に関連し「フィンランドの森は誰が管理しているの?」という質問に対し、藤原さんは「市民団体による保全運動よりも、国や自治体の取り組みが充実している印象。税金が高いことと関係していて、それは日本と異なる点の一つかもしれません」と言います。
小島さんが参加するコモンフォレストジャパンでは、手入れが行き届いた豊かな森を守るというより、むしろ手入れされずに荒廃した場所を買い取って再生しています。会費を払ってまでコモンズとしての森を守っていこうという人たちが集まっているのです。小島さんは「私の場合、東京の都心部から電車を乗り継いで“お出かけ”して山へ入っているような状況です。住まいと自然との距離感の違いも、フィンランドと日本の違いの一つかもしれません」と語ります。
こうした議論から、話題は「コモンズを守るのは誰なのか」という内容へと発展しました。
日本社会におけるコモンズと私的所有権の課題

小島さんが通う東京西部にある裏高尾の森で見つけた、草木の実生(Photo by Kazuko Kojima)
「東京でも多摩地区には、少し前まで里山に近い暮らしがあったようです」と小島さん。「歩いていて石積みが崩れているところを見つけたら、一つだけでも直す。ちょっとした心がけで地域の環境が保たれていたのが、昔ながらの里山の風景です。わざわざ組織化して『保全』を考えなければならない今とは、ずいぶんと状況が違ったのでしょうね。かつて里山を支えた人たちの発想は、フィンランドの自然享受権の考え方と似ているかもしれません」
土井さんも、「コモンズは公助で賄われるか、市民の相互扶助で賄われるかで差が出てくる。コモンズの空間は、管理のためにシステム化されてきているようにも感じます」と語ります。現在の日本の状況について、「土地の所有権の問題で、公園で勝手に花を植えたり、山で薬草をとったりすると、厳密には“密猟”になってしまう。窮屈で、自由がないですよね」とのコメントもありました。
いろいろな「コモンズ」。答えは一つではない
シェア会の終盤、執筆者は改めて「コモンズとは何か」について意見や感想を語りました。
「『人新世の「資本論」』に出てくるコモンズは、資本主義のもとで有志が資源を管理、共有しながら一緒につくっていく“管理下のコモンズ”に焦点が当てられています。今回のシェア会を通じて、こうした“管理下のコモンズ”を実践しながらも、最終的にはみんなが自然をあるがままの形で共有する、フィンランドの自然享受権のような形を目指すべきだと整理できました」(土井さん)
「『私有より共有しよう』とよく言われますが、いずれも所有のバリエーションにすぎません。大切なのは“所有”ではなく、自分も自然や社会の一部であり、働きかけや活用をする権利があるという“享受”の考え方だと思います。今後、町や社会をつくる意思決定のプロセスをコモンズとして一人ひとりに取り戻す活動にも参加していきたいです」(小島さん)
「フィンランドに移り住む前は、日本の都市部で生活していました。人口密度が高い都市部にはモノが溢れていて、好きなものを買ったり行きたい場所にすぐ行けたりするので、コモンズのような概念を意識する必要がないのかもしれません。一方で、フィンランドには広々とした空間があり、心に余裕がある人が多い印象を受けます。そうした環境の中で目の前にあるものを大事にしようという気持ちが強まり、自然享受権が浸透したのではないかと感じます」(藤原さん)
「先住民族の文化や日本の里山文化では森や川を神様のものと考え、それを共有財として大切に守り続けてきました。『森はみんなのもの』というコモンズの考え方は、多くの人々の中に受け継がれていると思います」(曽我さん)
各地で暮らすENWパートナーが考える「コモンズ」。その答えは一つではなく、実に多様です。
失われつつある共同体の知恵を未来へつなぐ
日本には、地域住民が山林に入って薪や草などを共同に得る「入会(いりあい)」という言葉がありますが、都市化が進む中、共同体で長く続いてきた資源管理の知恵は失われつつあると言われています。
人々の共同の実践、関係、感覚の総体を指すような概念「コモンズ」。それは私的所有を超えた、古くて新しい概念です。コモンズについて考え、語ることは、土地に限らず森や水といった多様な資源の利用や管理方法を改めて見直すきっかけになるはずです。ENWではこれからもコモンズに関する議論を深め、思索を重ねていきます。