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【身近にあるコモンズ】みんなで育むコモンズの森
今や世界でも広く読まれている経済思想家、斎藤 幸平氏の『人新世の「資本論」』や松本 卓也氏との共編『コモンの「自治」論』で、問題解決のキーワードとして提案されている「コモン」。これは共有財・公共財とも呼ばれ、みんなで一緒に管理・使用しているもの・ことを指すのですが、同書の中では地球を「コモン」として持続可能にみんなで共有、管理することで初めてサステナブルな世の中が実現すると述べられています。
実は公民館や図書館、共同運営の生協(COOP)など、すでに「コモン」の仕組みは数多くあります。そこで、エコネットワークス(以下、ENW)では世界各地にいるENWパートナーに声がけをし、それぞれの身近にあり、実際に参加している「コモン」を紹介するコラム「身近にあるコモンズ」の連載を始めました。初回「共有廊下から考える『コモン』」に続く第2回目は「コモンズの森」の話です。
みんなで育むコモンズの森
執筆:小島 和子
生まれも育ちも東京のフリーランス。編集・執筆・出版プロデュースが得意。
ときおり山や森に入るようになって3年近く経ちます。月に1回ぐらいのゆるやかなペースですが、しばらく行けないことが続くと、「何か物足りない!」と思う程度には生活の一部になっています。
最近よく出かけるのは、東京西部の「裏高尾」と呼ばれるエリアです。訪日客にも知られる高尾山のメインルートは、天気のいい週末ともなると都心の繁華街並みのにぎわいです。一方、少し北側に位置する裏高尾にはそれほどの喧騒はなく、静かに山歩きをしたい人に親しまれています。
その一角を舞台に、共有財産としての森をみんなで守り育てていこう、という活動が行われています。一般社団コモンフォレストジャパンという団体の呼びかけに賛同した人が資金を出し合い、売りに出されていた34,952㎡(サッカー場なら約5面分)の森を共同購入し、作業用の道をつけるところから、少しずつ動き始めています。
山や森の手入れというと、真っ先に植林を思い浮かべる人もいるかもしれません。もちろんそうしたフェーズもありますが、むやみに植林しても根づかないことも多い。そもそも土壌が保水力を失い、樹木が豊かに育つ環境が損なわれているからです。
高尾山は標高599mという低山ですが、植物の種類が日本で最も多く、その数は約1,300種にも上ります。そのおかげで、5,000種を超える昆虫や約150種の野鳥の住処となっており、生物多様性が非常に豊かです。その一方、2012年には東京郊外を環状に結ぶ圏央道の高尾山トンネルが掘られたり、世界一多いといわれる年間270万人もの登山者が訪れたりすることで、生態系へのダメージも懸念されています。そこで、高尾山と隣接する裏高尾の山林を、同団体の呼びかけに込められた思いに賛同する人々の手で守り育んでいこうというわけです。
このところ取り組んでいるのが竹やぶ・笹やぶの手入れです。登山道から少し外れた斜面は、長い間放置されてきたため、竹や笹が伸び放題でした。台風によるものか冬期の雪の重さに耐えかねたのか、斜面に倒れ込んだところを、つる性の植物に絡め取られて、まるで厚いカーペットのように山肌を覆っています。これでは陽の光が地表に届かず、ほかの草木が生えてくる余地がありません。おまけに縦横無尽に張りめぐらされた地下茎が土を固めています。雨が降っても浸透せずに表土をさらって流れてしまい、ますますほかの植物が育ちにくい環境になっていました。
こうした環境への働きかけに際しては、重機を入れて一気に仕上げるというわけにはいきません。すべて手作業です。急斜面でバランスを崩さないように気をつけながら、のこぎりや剪定ばさみで1本ずつ地際から切っていきます。はっきり言って、とても地味な作業です。斜面に踏ん張っているだけでも足腰がキツイ。この作業だけを取り出して考えたら、必ずしも「すごく楽しい!」わけではないかもしれません。まして、たった1人でしないといけないとしたら、気が滅入ってしまうでしょう。
それでも、十数人がかりで半日も取り組むと、目の前の景色が見違えるほどスッキリします。心なしか良い風が吹くようになったようにも感じます。何より、頑張った「成果」がきっちり目に見えるのは嬉しいものです。
こうした活動の楽しさは、仲間と一緒に汗を流すところにあるかもしれません。「仲間」といっても、ほとんどの方とは現場でご一緒するだけの、ごくゆるいつながりです。それでも、日ごろは1人でパソコンに向かう在宅ワークが多いからでしょうか、共通の目的に向かって、人と一緒に体を動かすだけでも貴重な機会に思えます。私利私欲から距離を置き、コモンズのために汗を流しているという感覚が心地良いのかもしれません。
街なかに暮らしていると、土地にしても何にしても「誰かのもの」であることが当たり前だと思いがちです。でも、山、川、海など、様々な動植物(もちろん人もその一部)を育む自然環境に、所有の概念はそぐわない気がしてなりません。自然はみんなの共有財産、つまりコモンズのはずです。みんなのものだから、みんなで手を入れて守ったり再生したりすることが当たり前。ときには、生態系の豊かさを維持できる範囲内で、その恵みをいただくこともある。さらには、自然環境に限らず、コモンズの領域がもっと社会の隅々まで広がったら、誰にとっても生きやすい世の中になるではないか。裏高尾の山に通いながら、ふとそんな思いがよぎったりもします。
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