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触れることで開く「知る権利」― ボローニャ・アンテロス美術館から考えるDEI

(Photo by Michael Vorleuter)
エコネットワークス(ENW)の運営するコミュニティ事業であるTSA(Team Sutainability in Action)のメンバーである渡辺恵理子さんは、サステナブルな暮らしを大切にしながらドイツで生活しています。
視覚に障害のある渡辺さんにとって、絵画や書道といったほぼ100パーセント視覚に依存する芸術を「存分に楽しむこと」は、長年の願いの一つでした。
2025年6月、渡辺さんはイタリア・ボローニャを訪問し、レリーフ(平面を浮きだたせるように彫り込む、または平面上に形を盛り上げるように肉付けして制作する技法)に触れることで芸術を体験できるアンテロス美術館で心からアートを楽しんできました。本記事では、その体験から見えてきたDEIのあり方を考えるヒントをお届けします。
執筆:渡辺恵理子
栃木県宇都宮市出身。生後間もなく発症した小児がんにより、両眼の視力を失う。幼い頃から外国語や海外生活に興味を持ち、大学では英語・英米文学を専攻後、カナダで図書館情報学の修士号を取得。大学在学中に現在の夫(ドイツ人)と出会ったことをきっかけにドイツへ移住。現在まで、ドイツでの生活は四半世紀に及ぶ。読み書きには、仕事・プライベートともに画面情報を音声や点字に変換してくれる援助機器(スクリーンリーダー)を使用している。
近年、映画や演劇では視覚障がい者向けのオーディオ解説が普及し、携帯端末を通してリアルタイムに楽しめる環境も広がってきました。けれど、絵画や書道など、ほぼ100パーセント視覚に依存する芸術となると、見えない人にとってはまだまだ課題が多く残されています。
そもそも、見えない人がビジュアルアートに興味を持つ、楽しむという概念自体が、まだあまり一般的ではありません。それは見えない当事者の間でも同様で、なんとなく「私たちには関係ない世界」みたいな雰囲気があります。
オーディオ解説があれば可能性は広がりますが、課題もあります。日常で言葉に多くを頼らざるを得ないとはいえ、見えない人がみんな一律に「言葉の人」というわけではありません。語彙力やどれだけ言葉に精通しているかには個人差があり、解説する側の質にもばらつきがあるため、耳からの情報を目で確かめられないまま長時間聞き続けるのは集中力や好奇心を保つ点で大きな負担となります。かといって、絵画は平面だから、触れられない……。
そこで2025年6月、このジレンマの解決に長年尽力し続けている美術館を訪ねました。
触れて楽しめるアンテロス美術館
ボローニャにある Museo Tattile di Pittura Antica e Moderna Anteros(アンテロス古代近代絵画触察美術館)、通称「アンテロス美術館」では、視覚障害者が名画を触って理解できるようレリーフ化した作品を展示・所蔵しています。
見えなくても視覚的な美を理解できるのか。アンテロス美術館は、設立に先立つ1995年からの研究に始まり、30年近くこの問いに真摯に向き合ってきました。そして、その答えが”YES”につながることを、長年の実績で示してきました。
ここでは、スタッフによる言葉の解説に加えて、本来は平面なので指で触れても内容を理解するのが難しい作品を、実際に触って鑑賞することができます。ルネサンス期を中心に、西洋美術史において重要な絵画を厳選し、触れられるアートとして提供しています。アンテロス美術館が採用しているのは、バスレリーフという技法です。フランス語で bas は「低い」「浅い」、relief は「浮き彫り」を意味します。つまり bas relief は「浅浮き彫り」ということです。

バスレリーフ制作の様子(Photo by Michael Vorleuter)
最初から立体を意図した彫刻のように人物や動物が大きな高さを持って浮き出すのではなく、二次元の絵画性を保ちながら、形を把握できる程度に起伏を与えて再構成しています。「限りなく平面に近い三次元」と言い換えてもいいかもしれません。この方法によって絵画本来のイメージが損なわれることなく、触覚を通して作品を体験できるのです。
「あまりにも圧倒的で、鮮烈で、衝撃的な体験」
私は長年言語に関わる仕事をしてきました。また、全盲で海外在住という立場からも、意識的に言葉に向き合ってきました。解説してくれる人がいれば、ショーケース越しの博物館や直接触れられない資料館にも出かけて行きます。それほどまでに言葉という媒体に信頼を寄せています。
けれど「触れていい」という選択肢は、言葉だけでは届きにくい直接的な体験を一気に可能にしてくれます。その点で、アンテロス美術館で過ごした数時間は、私にとってあまりにも圧倒的で、鮮烈で、衝撃的でした。
例えば、「躍動感のある馬」と耳で聞いて自分の頭の中でイメージするのと、指先でたくましい体の力強さやつやつやした毛並みを直接感じるのとでは、体験の奥深さが全く違うという強烈な発見がありました。言葉の解説だけでは、生き生きした馬の様子をここまで鮮やかに実感することはできなかったと思います。

ジュリオ・ロマーノ《カヴァッロ・モーレル・ファヴォリート号》(1525–1527)レリーフ(Photo by Michael Vorleuter)
遠近法の技法に文字通り「触れる」というのも、普段なかなかできない体験です。美術館館長のロレッタさんが自ら、北斎の神奈川沖浪裏を、私の手をとって導きながら解説してくださったのですが、パワフルな波の立体感と、遠くに静かに構える富士山、その両方を両手に同時に感じることで、その距離感(奥行き)、そして波の盛り上がりと山の起伏が呼応しているという風景の魅惑的な一体感を、息をのむような驚きとともに体験しました。しかも、まさかボローニャで北斎と出会うとは。

葛飾北斎《神奈川沖浪裏》レリーフ(Photo by Michael Vorleuter)
触れることで理解できた「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》レリーフ再現(Photo by Michael Vorleuter)
レリーフの素材には、大理石のパウダーを混ぜた粘土を使用しているそうです。最初からたくさん触られることを考慮して、度重なる接触でも耐久性が高く、触って心地よい素材になっています。とはいえ、触ることは、目で見ることと同じではありません。言葉だけ聞いて理解するよりは見る体験にずっと近いですが、触覚を通して一度に取り込める量やスピードには限界があります。例えば、ダ・ヴィンチの最後の晩餐では、目で見た場合、視線が自然と中央のイエスに導かれるように構図が工夫されています。
一点透視図法により、室内の家具や内装のラインがすべてイエスの位置に集束し、十二使徒の配置も、真ん中のイエスを中心としたまとまりを強調しています。これは視覚的には自然な流れですが、見えないとそうスムーズにはいきません。まず、作品中の要素をすべて一つずつ触ってみないことには、何があるのか、いくつあるのか、どういう配置になっているのか、それぞれどのくらいの大きさで、周囲の要素とどうつながっているのか理解できません。
人らしいものが数人ずつ固まっているぞ。ここに3人、こっちも3人。4組12人ってことは、十二使徒だな。一人ひとり、手の位置やボディランゲージが違うの? ということは、真ん中の、ひときわ大きくてどっしりしたのがイエス? 全体に伸びている真ん中の長方形は……その下に足の指らしきものが。ああ、テーブルか。上のほうの幾何学的な模様の繰り返しは……天井? 板一枚一枚をなんて正確に描いているんだろう。模様の一つひとつがちょっと斜めになっている。実際に斜めなわけはないから、特定の位置との関係で斜めに見えるってこと? このフレームみたいなのは……窓? いくつあるんだろう?
こんな感じで、視覚と比べるとなんとも非効率的。でも、そんなふうにパズルの一つひとつが頭の中でまとまったときの、じわっとスローモーションで押し寄せる感動にも、格別なものがありました。
全体に整った美しさ。それを外から与えられる解説ではなく、この瞬間、自らの感覚で直接味わっているんだ。その強烈な気づきは、なんだか怖いくらいでした。
理解が難しい絵画も……
幼い頃に失明し、ビジュアルな記憶が全くないことで、作品を理解するのが難しい場面もありました。たとえば、歌麿による鏡を使って女性がお化粧するシーンは、言葉の解説を聞きレリーフに触れても、「ああ、なるほど」と私の中ではしっくりきませんでした。

喜多川歌麿《姿見七人化粧》レリーフ(Photo by Michael Vorleuter)
上下左右は変化がなく、前後だけが入れ替わるという鏡の原理は、頭ではわかっていたつもりでしたが、実際に鏡をのぞいたことがないので、女性の後ろ姿と、反転して鏡に映る顔の正面像を組み合わせた構図という技法が、感覚としてなかなか理解できませんでした。
お化粧中の後ろ姿という設定から、女性のつややかな美しさを表現しているのかなと想像はできましたが、鏡の仕組みの謎にとらわれてしまって、美を味わう余裕がなかったです。今でも、この作品のことを考えると、ちょっと混乱してきます。
身をもって美しさを体感できた「ヴィーナスの誕生」

サンドロ・ボッティチェリ《ヴィーナスの誕生》レリーフ(Photo by Michael Vorleuter)
今回の訪問で私が一番心を動かされたのは、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のレリーフ版でした。
風の神ゼピュロスが吹き出す力強い空気の流れ、その風に運ばれて水面を滑るように移動するヴィーナスの優雅な動き、彼女が乗った貝殻の内側の凹凸が織り成すリアル感、水と陸地とが出会う地点が示唆する神話の始まりなど、様々な形の美を指先に感じ、それらがまとめて一つのストーリー性を持っているということに、深い感銘を受け、しばらくその場に立ち尽くしました。
「美しいとはこういうことなのか」と、強烈な体感をもって経験したひとときでした。普段、言葉の解説を聞くときは、できるだけ聞き逃さないように「真面目な学生集中モード」が私の中で自動的にオンになります。せっかく来たんだから、ビジュアルがなくてもできるだけ何かを得て帰ろうという野心が発動するからです。ところが、触れる絵画を前に私が得たものは、「把握する大切さ」のさらに奥深くにある、「自身の感覚に頼れる自由」でした。
「この髪のなびき方、優雅だな」
「聖母マリアの戴冠のシーンは、ラインが厳格で、素手で触るのが恐れ多いくらいだな」
作品に触れることで、他の誰でもなく、こうした自分なりの感想を導き出せるという喜びは、他ではなかなか味わえない、かけがえのない文化体験でした。
知る権利の扉は、確実に開かれている
美術館では、教育活動にも力を入れています。見えない子どもたちには、絵画に触れる体験を通して自分や他者の身体イメージなどを学ぶ機会を提供。「自分と他者」といった具体的なボディイメージや、現実と空想の両方の世界があるということなど、見えている子どもが日常のなかで視覚を通して自然に身につけていく知識や経験を、見えない子どもたちもアートを通して得ることができるよう配慮されています。大人向けにも、レリーフを手で確かめながら作品を再現するワークショップを設け、鑑賞と制作の両面からアートを体験できるようにサポートしています。

大人向けワークショップの様子(Photo by Michael Vorleuter)
最後に、真にインクルーシブな美術体験の実現に長年尽力されているアンテロス美術館の意気込みを感じさせる秘話を一つ、皆さんにシェアさせてください。
見えない人の空間認識を研究している私の知り合いが、会合でレリーフ化を担当したアーティストの一人に出会い、「私の意見では、あなたのレリーフのポートレートのほうが原画よりも効果的に見えますよ。一体どうやったらこれほどいいものがつくれるんですか?」と声をかけたとき、逡巡したアーティストが遠慮がちに返した答え。
「作品は100バージョンつくって、そのうち99は廃棄します」
私たちの「知る権利」の扉が、ゆっくりと、しかし確実に開かれていることを実感した体験でした。