Accuracy(正確さ)とReadability(読みやすさ)

2016 / 10 / 4 | 執筆者:Masako Maeda

gradation
先日、ポンピドゥー・センター傑作展を見ました。

ピカソやマティスをはじめとする芸術家の作品の横に、
ポートレイトと本人が語った言葉が添えられています。
作品以上に、英語と日本語で書かれた作家の言葉に目を奪われました。
英語も日本語も、それ自体が作品のように美しいのです。

それらの言葉の多くは、仏語や独語、西語などで語られたはず。
その英語、そして日本語への翻訳でありながら、
余白とともに添えられた言葉には、力がありました。

芸術家の言葉はときに哲学的で、解釈そのものが難解です。
それを別の言語で自然に表現するのは、容易なことではありません。
翻訳の過程で、「青」が藍色になったり、群青色になったり、
濃淡が微妙に変化している部分もあるのかもしれません。
それでも訳された言葉から、わたしは確かに
作家の思いや情熱を感じることができました。

これが、「限りなく正確だが、何を言いたいのか不明」な言葉
だったらどうでしょう。そこから、何を得られるでしょうか?

翻訳にもいろいろあり、法律や医薬、特許などの分野では、
「正確さ」が非常に重要になります。
しかし、「読みやすさを犠牲にしても(正確であれば)よい」
という文書が、世の中にどれだけ存在するでしょう?

どんな文書も、人に読まれてこそ価値をもつはず。
「正確さ」を追うあまり、「読みやすさ」を犠牲にしていないか。
いま向き合っている文章は、誰に何を伝えるために書かれたものなのか。

どんな文書も執筆、編集、校正に多くの時間を費やして作られます。
こうして作られた文書を別の言語で広めようとするとき、
その言語の話者が「違和感なく読める」ことは最低条件。
「内容に引き込む、読んでもらえる」ことができて、
はじめて翻訳が役に立ったと言えるはず。

アートより言葉を目で追いながら、「正確さ」と「読みやすさ」
のバランスに改めて思いを馳せました。

Photo by Nico Paix

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