こんにちは、小林です。
なぜ私が「多様性」というテーマに
思いを抱くようになったのか
振り返ってみました。
私が19歳のころ、
米国ニューヨークで貧乏学生をしていたとき、
言葉やら休みのときの行き先やらで不安ななか
本当にいろいろ助けてくれた親友が、あるとき
「自分はゲイで、色々悩んでいる」と
打ち明けてくれました。
私自身、身近な人では初めてのことだったので、
ズシーン
と受け止めたことを覚えています。
ただ、衝撃だったのは、
日本よりはずっと多様性に寛容と
思われる米国ですら、そのことは
公言はできないと考えていたことでした。
差別されるからです。
身体は男性でも心は女性。
子どもの頃からそのギャップに悩み、
苦しんできたことを知りました。
家族や友人などですら、どこまでその悩みを
打ち明けてよいのか。
差別されるのでないか。迷惑をかけないか。
そんなことを思春期からずっと
悩み続けなくてはならなかったのです。
その後の人生のなかで私は何人も同じような
友人に会いました。
先天的な心身のことで、
それほど悩み、思い詰めなくてはならない理由は、
どこにあるのだろうか。
この場合、変わらなくてはいけないのは、
マイノリティ(少数派)である本人ではなく、
周りの人間の方なのではないか。
そのように思うようになりました。
だって、「日本人である」ということだけで、
世界ではマイノリティなのです。
世界人口を50人とすると日本人は1人にすぎません。
人口が減っている今、その1人にも満たなく
なるでしょう。
想像してみてください。
50人のクラスのなかで、言葉がわからず、
ポツンと座っている自分。
人種、性別、文化、性的指向、など色々
「差別」の分野はありますが、
ある限定したグループの中ではマジョリティでも、
もう一次元上から見ればとたんにマイノリティになります。
その差は、もう「心の薄皮一枚」です。
マジョリティである、という幻想を捨てて、
むしろ進んでマイノリティであることを受け入れる。
そのような「個」が、互いをリスペクトし、違いを活かし合う。
そんな場をつくりたいですね。
エコネットワークスでは、そんな思いで
チームづくりをしています。