大田朋子さんインタビュー(第1回目)

2013 / 1 / 16 | 執筆者:EcoNetworks

スペインに住む運営パートナーの大田朋子さんに、スカイプでインタビューをさせていただきました。現在、「世界が拠点な生き方&子育て」を実践されている大田さんは、これまでにアメリカ、ドイツ、インド、メキシコ、アルゼンチン、スペインの6カ国で仕事をされてきました。さまざまな環境で暮らし、多様な世界や人に触れるなかで、ご自身の生き方や働き方をどう築き上げてこられたのか、その一端をお聞きしました。

ブエノスアイレスで親友と。 「世界中に友達ができたことが世界が拠点な生き方の醍醐味の一つ」と大田。

硲:世界を舞台に仕事をしようと決意されたきっかけは何でしたか?

大田:日本での外国語学習となると英語が中心ですが、英語は学校で勉強していたくらいで、硲さんのように大学に入るときから語学に興味があったわけでもありませんでした。英語はずっと好きだったし、好きな科目ではありましたが、それを使って何かしようだとか、海外で何かしたいということでもなかったのです。

きっかけは、大学生の頃に一人でアメリカに行ったことでした。留学したわけではなく、人の生き方にその時から興味があったので、いろんな人に会いに行って話を聞かせてもらいました。私が滞在したのは、メキシコとの国境にあるサンディエゴで、中南米の人たちと仲良くなりました。日本語以外の言葉を話している人と英語で話せることに、そのときは単純に感動しました。英語ができれば世界中の人と話ができるな、と思ったんです。英語を介してこんなに出会いが広がるんだ!と。それまでと全然違うタイプの人たちと出会ったので、今まで知らなかった自分が引き出され、今までと違った自分を発見し始めました。自分でも見えていなかった自分で、もっと育てたい自分というものが、予期さえしていなかった出会いから引き出されたことを感じました。そういうことを含めて、「すごく好きな世界だな」と思いました。そこで、どこの国というわけではなく、直感的に海外に出ようと思いました。どうやって海外に出ようかと思ったときに、語学留学にはあまり興味がなく、何かをしに海外に出たいという思いを抱いてアメリカから帰国しました。そして、どういうことを仕事にしたいのか、どうやって海外に出るのかを模索し始めました。

硲:その後どう行動に移されたのですか?

大田:当時、自分の語学力が優れているわけでもなく、海外にどういう手段で出られるかということも見えず、かといって留学で行くのは嫌だと思っていました。当時自分は同志社大学の学生でした。そして、京都大学をはじめとする関西の数大学の学生が参加していた英語ディスカッションのサークルに参加していたのですが、そのつながりの中でアイセック(AIESEC)という国際的な学生団体のことを知り、海外でのインターンシップに応募しました。そして、ドイツとアメリカとアジア圏からオファーをいただきました。アメリカとアジアは行ったことがあったし、なんとなくいつでもつながれるかなあと思ったこと、またオファーがあったドイツの会社が旧東ドイツだったことが決めてとなり、ドイツに決め、ドレスデンというところに行きました。ベルリンの壁崩壊から10年後の旧東ドイツで働けること、東西ドイツ統一後の10年の様子をこの目で見れるということに魅力を感じました。

硲:ドイツのインターンシップではどういうお仕事をされていましたか?

大田:インターンとして働いたのは、ドイツの地域に関する出版や、春から夏にかけては世界中から来られるお客さんに現地ツアーのサービスを提供していた会社でした。いろんな国籍の人が働いている環境だったので、英語やフランス語やドイツ語が飛び交い、一つひとつのことが驚きでした。職場での話し方など、小さなことを含めて全てが学びでした。当時、まだ共産圏の名残が強く残るドレスデンの職場では働く人を監視する文化がまだ残っていて、それが自分に合わず、また、仕事とは関係のないコミュニケーションを含めて、全てのことがチャレンジでした。日本にいて海外というと英語圏でしたし、知っていることも英語圏のことばかりだったのですが、当時のドレスデンは英語が通じなくてもロシア語なら通じるという世界で、英語圏以外の深いところや広いところをいっきに見せられた感じでした。

その頃は、自分にどういうことができるかを模索していた時期だったので、すべての出来事に感謝していました。「この出来事があった後に広がっていく」、というような思いでした。今からすると、大変なこともたくさんありましたが、でも、勢いがあったからできたのだと思います。

昨年仲間の結婚式をきっかけにインド時代の仲間と13年ぶりに再会

硲:その後、インドに移られたということですが、インドではどのような経験をされたのですか?

大田:インドにいたときは、いろんな意味でブレイクスルーと成長の時期でした。インドの外資系企業で仕事を始めたのは23歳の頃でしたが、同じ年齢のインド人の同僚は、MBAを取得していました。活発に意見を言うし、熱心に勉強していて、その後のビジョンがとてもはっきりしていました。プロジェクトを完璧にこなしながらも、その会社にずっといるという考えが全くなくて、すごく明確な姿勢を持っていることが、当時の自分にはとても刺激になりました。私は自分らしくどうしていくかということは考えていましたが、その会社の後に自分がどういう働き方をするかまでには思慮が及んでいなかったので、そういう仲間といることで、ビジネスの面でも、考え方や仕事への姿勢という点ですごく刺激されました。

父が会社を経営しているので、自分もそうしていくだろうなと小さい頃から何となく思っていたのですが、それを20代でするとは思っていませんでした。企業で経験を積んで、30歳くらいになってから、という感じだったのですが、彼らが行動している姿を見て、ある程度経験を積んでから、というのは論理が通っているようであまり通っていないようにも思えました。

会社の経営をもともと思っていたより前倒しで始めたのは、このときの同僚の考え方に触れたことが大きかったと思います。

第2回目に続く

このエントリーをはてなブックマークに追加